マーケッター4.0 三宅泰世のBlog

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自己肯定感の低さがなくなった理由 その1

これはだいぶ前の話なのだけど
なにかの参考になってくれればと思って書く。


いまでこそ、オラオラな自己紹介をしまくっているが学生時代、社会に出てからの十年程度は自己肯定感などなく、自己卑下の塊だったのだ。

 

理由は機能不全の家庭環境が大きい。今では別になんとも思わないが精神的未熟児の親だと、とにかく大変だ。受験の失敗。学歴。それから健康状態。

 

自己肯定感の低さがなくなるきっかけは、いくつかの出来事が重なったことだけど、根底には一つの真理に集約されると思う。(うまくまとまるかな)


大学受験には大失敗した。


駿台予備校では物理は全国でもベスト10、偏差値は100超が連続する、自分で言うが「天才」のかけら位は持っていたのだと思う。ただし、勉強の仕方を知らないという問題があって、得手不得手の科目の差が酷く、大学受験では大失敗した。浪人した。


大学のレベルの割に就職だけはいい、付属の大デパートの総合大学工学部に入学。工学部はつぶしがきくという理由で選定した。入ってみたら「アイダズノット」だと?ぶっ飛ばす!周りはアホばかりかよ、てな感じ。


バカバカしくなってバイトに明け暮れ、留年した。

品のよろしくないお友達とバイクいじりに明け暮れた。夜中の第三京浜を爆走し、近所の街道ではチューンした2stオフロードバイク250ccで4st750ccをぶち抜き、暴走族を後ろから追いかけてすり抜けて、おちょくった。

 

知力

技術

度胸

 

を試し続けた。

 

そして、就職だけはしないとなあと。

カッコ悪いの嫌だし。


卒論がなくこれまた就職のよい研究室に入り、NTT研究所系のグループ企業に推薦してもらった。

 

今の会社に一発必中で採用してもらった。

 

どうせ働くなら、日本でも最高レベルの頭脳に触れていたい。という、大学時代の周りへの失望の反省からである。


就職した。正直、当時、大学のレベルでの差別はあった。だけども、自分にしかできない仕事、専門を持たせてもらったことは大きな自信になった。先端技術は、独壇場になる!これだ!勝てる土俵はある。当時は36協定もないので、好きなだけ仕事をした。知力で敵わないなら、熱意、スタミナで勝負しよう。だった。


がしかし、入社二年目に事故に遭ってしまった。


脳が腫れた。眼球も腫れた。
頸髄損傷
胸椎腰椎などにも圧迫骨折があった。
激痛で三日三晩気絶を繰り返した。

 

この世とあの世の狭間を行ったり来たりした。

この世とあの世の狭間は甘美だ。

甘美で何もない。

 

痛みも苦しみも悩みも何もない楽園は

地獄でもある。

 

現実の肉体に意識を定着させたが、乖離、右半身麻痺が残った。

 

(いや、実際には意識は肉体から少しずれていて、はみ出していて、自分の事は他人事の様な状態だった。15年くらいそんな感じだった。いまでも若干そうかも。)

 

日常共にする全身の慢性の痛みと凝り、内臓の機能不全、呼吸障害は生き地獄だ。


廃人だ。


意識が朦朧として情緒不安定、思考障害、記憶障害が起こりまくり人間関係は、全部崩壊した。高校時代の親友にも裏切られた。


大好きだった仕事も出来ない。這うように出社する。モニタに向かうが一週間何も思考が動かない。


常駐先の研究所では同じ年の研究者から「働かんか!このサルが!」と罵られた。


最悪だ
最低だ

 

絶望だ


恩人達が、東海村の研究所へ異動させてくれた。


心身ともに癒す時間、場所として最高だった。


味覚を取り戻すきっかけになったのは、勝田駅側のSAZA COFFEEだ。複雑な苦味は味覚を鍛えるのに良いと思う。


五感が戻る感激。

 

右半身の麻痺も東海村のカイロプラクター(中根整復院)との出逢いで希望が見えた。


精神的には絶望状態だったが、肉体の再生。五感の再生は希望だった。

 

示談金でHonda Integra TypeRを手に入れ

茨城の温泉を巡った。肉体を感じ直したい。

理由はそれだけだ。


自己肯定感の根底は肉体だ。身体の声だ。

 

肉体は動こうとし

五感は感じようとし

 

心臓は脈動を繰り返し

 

イキロ

 

と言っている。

 

自己肯定感は


頭じゃ無い。考えて辿り着くところでは無い。


(続く)